拳銃の歴史は、その最初の発生をさかのぼる事は、とても難しく『ピストル』という言葉ですらいつ頃から使い出したかについて定説はない。最も多く信じられている文献として、1540年頃イタリアのピストイア『Pistoria』に住んでいたカミロ・ヴェテリという銃工が短銃を初めて作り以後、この地方は拳銃の名産地となったという説がある。 日本でも1543年に九州・種子島にポルトガル人によって伝来された鉄砲(火縄銃)が以後同島で製造が盛んに行われた為鉄砲が『種子島』の名前で呼ばれるようになった説と似ている。 一方、1515年頃ドイツのニュールンベルグの銃工たちによって拳銃は創られたとう説(文献)もある。 既に黒色火薬は発明されていたからこれを使用する原始的な銃器はもっと古くから作られており、これらの銃器を馬上でも使いやすく、また持ちやすいように短くする事は技術的に可能であったと思われるので拳銃はもっと古くから存在したらしい。 火薬、即ち木炭、硫黄、硝石の3種類を混合した『火薬』は中国で発明され西暦950年代の終わり頃には武器として使用されていたといわれている。これらが中国を征服したチンギス・ハーンによりモンゴルにもたらされ更に彼の西域遠征やその子孫によるヨーロッパ遠征により東洋で発明された火薬兵器はヨーロッパにもたらされこの地で原始的火薬から金属製の筒から弾丸を発射する銃器にまで発達していったといわれている。 以来拳銃の歴史は発火方式と弾薬の発達という二つの大きな過程を経て現在に至る。
ヨーロッパで現存する最古の銃器は1399年に破壊されその後復旧する事なく廃墟となったドイツのタンネンベルグ城から修復時に発見された銅製の重であるといわれ城の状態から1399年以前のものとされている。 この歴史的な銃は、ニュールンベルグのゲルマニア博物館に保存されていたが第二次大戦時に紛失したそうである。 この当時の武器は金属の根元に小孔をあけ、ここに火種をつけるという『タッチホール式』だった。 次に出現するのがマッチロック(火縄式)と呼ばれるいわゆる火縄銃で銃口から火薬や弾丸を込める事はタッチホールと変わらないが銃身の後端に平たい皿(火皿)が取り付けてあり、その火皿の上に発射用とは別に点火用の火薬をおき、ここに銃把(じゅうは)の右側に取り付けられた『先の曲がった鉤(かぎ)』(サーペンタイン)の先に火のついた火縄をはさみこむようになっている。 そしてS字型の一端を引いて火縄を火皿上の点火薬に押し込めば点火薬に着火、続いて筒内の発射薬に伝火して発射できる。 この方式が発明されたのは、15世紀頃で続い考案されたのがサーベンタインをバネによって火皿に落とすスナッピング方式でこれによって引き金を引いて短時間で発射する事が出来るようになった。 1543年、日本の種子島に伝来した火縄銃はこの方式の鉄砲である。 誤った解釈として火縄銃といえば、ダイナマイトの導火線の様に火縄が燃え尽きたとき発射するもんだと誤解されているが実際は、上記の様に短銃にあって、引き金を引いて0.5秒〜1秒後に発射する事が出来たし散弾にすれば、飛行中の鳥さえも的中させる事ができた。 しかし火縄銃には大きな欠点があった。それは弾丸の発射に火縄を使用しなければいけないことだった。
常に点火した火縄を携帯していなければならず、不意を襲われた場合や雨天の場合は効果を充分発揮できなかった。 人類の知恵はこの問題を解決した。 16世紀に入るまで新しい発火機構は発明されず、火縄式が利用されてきたが1500年始めドイツでようやく新しい発火機構が発明された。 
それは、ホイールロック(歯輪式)と呼ばれる点火方式で鋼製のギアの上に黄鉄鉱の破片をあてがい、ギアをバネで回転させて、火花を出して点火薬に着火させるものであった。 しかしこのホイールロック式は、火縄銃より構造が複雑で非常に高価なものになり、裕福な貴族階級だけが注文、所持できたのだった。更にホイールロック式はギアを巻くために専用のギア・スパナーを常に必要としていたので17世紀頃までは火縄式とホ イールロック式が混用されていた。当時のホイールロック式ピストルには銃把にバットボールという丸い塊がついていて、一発発射したあと弾込めに時間がかかるため、銃を逆さに持ちあいてを殴る用意というか、工夫がされていた。 黄鉄鉱を更迭のギアで摩擦して火を得てピストルに点火する事がホイールロック式だが、一方、意思を鉄に打ちつけて火を得ることは古くから人類の生活に取り入られていた。 ホイールロックにかわって次世代に登場するのがフリントロック式は、この火打ち石の原理をピストル点火装置に応用したものである。 |