南北戦争
〜局地戦〜砦
| サムター砦 | 南北戦争を引き起こした場所として有名。 サウス・カロライナ州チャールストンの湾内の島に築かれたこの砦は、ロバート・アンダーソン少佐率いる部隊が守っていた。 南軍が砦に砲撃を加え、1861年4月13日アンダーソンを降伏に追い込んだ。 それに対し、リンカーンは、7万5千人の志願兵を招集、叛乱を鎮圧するよう命じた。 これが、南北戦争の発端となったのである。 |
| ヘンリー砦 | テネシー川に面する南軍の根拠地であったが、グラント将軍配下の北軍砲艦が1862年に奪取した。 |
| ドネルソン砦 | カンバーランド川に面する南軍の根拠地。ヘンリー砦の2週間後、激戦の後にグラント軍によって陥落。南軍司令官サイモン・H・バックナー将軍は停戦を申し出たが、グラントは、「即時無条件降伏以外は受付けない。貴軍に対し、即刻攻撃を開始する事を通告する」と返答した。 |
| モンロー要塞 | チェサピーク湾に面する要塞。1862年、ジョージ・B・マクレラン将軍がリッチモンドを攻略しようとして失敗した際、基地として使用。 |
その他の有名な砦
| ネセシティ砦 | 1754年、5月、ペンシルバニア西部で小規模のフランス軍偵察隊に奇襲攻撃をかけやぶった後、ジョージ・ワシントンが立てこもった場所。立地条件は悪く、数週間後には、はるかに大規模なフランス・インディアン連合軍が砦を囲みワシントンは降伏を余儀なくされたヴァージニアに帰る事が許される前に、まだ若い将校だったワシントンは騙されて偵察隊の指揮官を「暗殺した」という自白書(フランス語で書いてあり、ワシントンには読めなかった)、にサインしてしまった。この様な小競り合いが後のフレンチ・インディアン戦争に発展する事になった。 |
| ドゥラーケン砦 | オハイオ川流域の支配を確固たる物にする為にフランスが1753年に築いたもので現在のピッツバーグの場所である。ジョージ・ワシントンをセネシティで破った部隊は、このドゥラーケン砦を根拠地にしていた。 フランスはこの砦を1758年まで保持していたが、その年、イギリス軍に占領された。イギリス側は、首相のウィリアム・ピットに因んでピット砦と改名した。 |
| スタンウィックス砦 | フレンチ・インディアン戦争中、モホーク川流域にイギリス軍が築いた砦。 後には白人とインディアンの交易所として利用された。 1768年、ウィリアム・ジョンソン卿はイギリス人植民地の指揮者としてイロコイ族、デラウェア族、ショーニー族等その他のインディアン部族の代表による会議を開催した。 その結果スタンウィックス砦の条約が結ばれ、インディアン達は1300万ポンドと引き換えにオハイオ川流域の広大な土地を割譲した。 |
| タイコンデローガ砦 | これもニューヨーク北部にあったフランスの砦、シャンプレー湖の間にあり、フレンチ・インディアン戦争中にイギリスに占領されたアメリカ独立革命が勃発すると、今度はマサチューセッツ州軍がイギリス軍から砦を奪うが、ジョン・バーゴイン将軍が1777年ニューヨーク侵攻を試みた時。それ自体は失敗似終わったが、作戦初期に砦を奪回した。 |
| マクヘンリー砦 | メリーランド州のバタプスコ川に面した砦で、ボルティモア防衛の拠点。1812年の戦争中、イギリス軍による徹夜の砲撃の後にそれでも砦の上に翻る星条旗を見た感激をもとにフランシス・スコット・キーは「星条旗」を作曲した。 |
| ララミー砦 | もともと毛皮商人によって今のワイオミング州内につくられた。1840年代、1850年代には、オレゴントレイルを行く開拓者の重要な補給地となった。後には南北戦争後のインディアン戦争の際の軍事基地として使われた。 |
| サター砦 | サクラメント近くにある砦。 その近辺で1864年金が発見された事で有名。カリフォルニアのゴールドラッシュを引き起こした。 |