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南北戦争の戦い

東部戦線


南北戦争における主要な戦いと、それぞれの戦いの全体の流れに対する関係を理解するには、アパラチア山脈の東側で行われたものと、西側すなわち、ミシシッピー川流域で行われたものに分けるのが便利である。
戦いの名前については、南軍が町の名前にちなんで呼ぶ事が多いが北軍は、よく、川の名前を使った。
簡単ではあるが、紹介してみよう。

第一次ブル・ラン川(マナサス)の戦い
(First Bull Run)

1861年7月21日ヴァージニア州内、ワシントンより20マイル南で起こった。互いに一進一退の戦いであった。
北軍は最初優勢であったが、南軍が反撃、総崩れになり敗走。
しかし、、南軍も不慣れで、この勝利の後ワシントンを陥落せる事が出来なかった。
リッチモンド手前の7日間の戦い
(Seven Days Before Richmond)
1862年6月25日〜7月1日モンロー砦を出発してゆっくりとチェサビーク湾沿いに北上した北軍は、南軍の猛攻撃にあい、退却。
艦砲射撃の届く海岸部まで引き上げた。
両軍とも被害甚大だった。
第二次ブルラン川(マナサス)の戦い
(Second Manasas)
1862年8月29日〜30日、第一次の時と同じく北軍はまたもや総崩れとなった。
アンティータム運河(シャープスバーグ)
の戦い
(Antietam)
1862年9月17日。
これによって南軍のペンシルバニア侵攻は阻止された。
南軍の被害は甚大で、戦いの結果は引き分けではあったが、これ以後、南軍は、ポトマック川に留まる事を余儀なくされた。
フレデリックスバーグの戦い

(Fredericksburg)

1862年12月13日。
塹壕に立てこもる南軍に攻撃をかけた北軍は、逆に甚大な被害を蒙り、撃退された。
戦争が悲惨なのは、良い事かもしれない。
我々が戦争好きになってしまっては、いけないからね。

これは、塹壕に立てこもる南軍に突撃をかける北軍を見ながら南軍のロバート・リー将軍が傍らのジェームズ・ロングストリート将軍に語った言葉である。
チャンセラーズビルの戦い
(Chancellorsville)
1863年5月1日〜4日。
北軍の攻撃は、側面攻撃によって撃退されたが、北軍は持ち直し、戦況は膠着状態となった。
その後、北軍は退却した。
ゲティスバーグの戦い
(Gettysburg)

1863年7月1日〜3日。
南軍のペンシルバニア侵入はこの戦いで阻止された。
最初はゲティスバーグで小競り合いが起こっていただけだったがやがて、本格的な戦闘に発展した。
双方とも、被害は大きかったが、南軍は戦闘を続行する事が出来ず、ヴァージニアに退却したため、北軍にとっては、重要な勝利となった。
(南北戦争を取り扱った西部劇では最も有名な激戦地である。)

ウィルダネスの戦い
(The Wilderness)
1864年5月5日〜6日
ヴァージニア北部、ラバハノック川の南側の密林地帯で行われた激戦。
北軍の側面攻撃によって南軍が退却し、終結。
スポットシルバニア裁判所の戦い
(Spotsylvania Courthouse)
1864年5月8日〜9日
前項の続きで、肉薄戦が多かったのが特徴的。
北軍の死傷者は南軍の倍あったが、北軍は側面攻撃を続け、南軍を更に南方に退却させた。
コールドハーバーの戦い
(Cold Harbor)
1864年6月3日
塹壕に立てこもる南軍に北軍が無理な攻撃を仕掛け、大量の犠牲者を
だして、敗退。
ピータースバーグの包囲戦
(Siege of Petersburg)
1864年6月〜1865年4月
この長期戦において、北軍はピータースバーグの防衛線を押し続け戦線はどんどん南から西へと広がった。
ここから退却する際、南軍はリッチモンドをも放棄せざるをえなかった。
アポマトックス裁判所の戦い
(Appomattox Corthouse)
1865年4月9日
とうとうピータースバーグから退却した南軍は、はるかに優勢な北軍に圧倒され降参した。

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